「百万本のバラ」とラトビア

●マーラが与えた人生について

「百万本のバラ」をキングレコードからリリースしたのは1984年のこと。日本語詞は岩谷時子さんに書いていただいた。ロシアの歌だとばかり思って長年歌ってきたこの歌のルーツがバルト三国のひとつ、ラトビア共和国であることを知り改めて探ってみることにした。

作曲したのはラトビアの元文化大臣であり著名な音楽家でもある、ライモンズ・パウルス、作詞はレオン・ブリエディス。タイトルも歌詞も全く異なるこの原曲「マーラが与えた人生」を、わが国で少しでも知ってほしいし、さらにわたしが認識を新たにしたラトビアの史実も伝えたいと思った。
それは旧ソ連からの独立を願う抵抗手段。・・・・・・押し寄せる弾圧の波に対してラトビアを含むバルト三国の一般市民たちは国境600キロにわたって、手に手を繋いだ人間の鎖を築き、一発の銃も撃たず抵抗した。そのとき彼らは銃の代わりに声を合わせて”歌”を歌い続けた。・・・1989年夏のこと。独立の一歩手前だった。

当時の政情ではなかなか思うことも自由に言えなかった。思いをそっと歌などに忍ばせて精神的な抵抗を試みていたラトビア。曲中に出てくる、娘に生命を与えたマーラとは母性の象徴とされる女神。子宝を与えてくれるのもマーラだ。

「命はマーラが与えてくれるものだけど、その後の幸せは自分で得るものだ」とこの歌は教えている。幾多の蹂躙に耐えてきた強くしなやかなラトビア共和国の「国家の品格」なのかもしれない。
そんなことをわたしに細かく紐解かせてくれた方々をご紹介しよう。

ラトビア大使 ペーテリス・ヴァイヴァルス氏。ラトビア語通訳・翻訳者の黒澤歩氏。さらにお二人のご紹介をはじめ、私への支援をしてくださったのが、北海道の東川ラトビア文化交流協会の会長西原義弘氏と、東川町長の松岡市郎氏。文化交流協会は’92年に発足して以来ラトビアに児童向けの文房具などの支援を行っている。また、活力ある東川町は「写真の町」のキャッチフレーズで、全国の高校生を対象に「写真甲子園」なるコンテストを開催し、発表の場を提供している。 ラトビアといえばカメラマニアは必ず「ミノックス!」(1937年にラトビアで誕生した有名な超小型カメラ)と叫ぶほど、その技術に長けているのも何かの縁だろうか。

そのほか多くの方からラトビアについてご教授いただいたことをお礼申し上げたい。

今回たまたまこんな素晴らしい出会いがあり、ラトビアについての魅力を知ることになったのだけれど、知ってみれば、どの国もどの人も、あるいはどんな生き物にも「ほぉ!」と感嘆することがたくさんあるのだろう。
それを大切にまた楽しんでいきたい。